『完全に自己充足的なもの』と、 そのぎりぎりのラインを超えた、 『外的なものへ向かう運命を持つもの』の違いとはなんだろうか。 たとえば、セックス・ピストルズやニルバーナはどちらか。 太宰治や三島は 私は客観的にも個人的にも、後者であると思う 受けとる側によっては、『完全に自己充足的なもの』が、外つまり受け手へ向かっていく。 あるときは、他人の自分勝手な、自己充足的なものが、人の心に寄り添う 個人的な好き嫌いはあるにせよ、認めざるを得ない結果や運命がある。 才能だけでなく、時代を含むものがその要因にある。 だから、ニルバーナもセックス・ピストルズも後者だ、と思う とくに音楽に限って言えば、 全てが根本に自己充足的な衝動を少しは持っていると感じる。 文学よりも。 音楽は芸能界だ 時代に巻き込まれる。 でも文学はその境がはっきりしているような気がする。 ブコウスキーと、その他作家たちの違い。 見りゃわかる。 才能、人間性 音楽なんかより、ムーブメントになりづらいから、 ある意味時代に巻き込まれない。 あーべつにどうでもいいんだけど、てかいいもんはいいんだけど、 凄く好きな作家の初期エッセイ読んでいて、考えた。 彼は、彼の文学も彼も好きだが、物語を語るべきなのだ。と。 彼は、物語を通して、自己充足すべきなのだと。 彼のエッセイは、受け手に向かっていないような気がした。 私の読む状況が悪かったのかもしれない。でも、なんとなく。 でもちらっとひさびさに、というのも批評できる読み方ではないからちゃんと読もう
by maaaayu1211
| 2010-10-05 01:45
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